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「幸福な結末」生まれる

先日愛知県某所で

「幸福な結末」の編集に向けて

プロデューサーと監督と交えて

打ち合わせが行われた


打ち合わせでは

色々な案が出てとても良かった


「脚本通りつなげる作業は

ただの編集であって

映画における編集とは再構築である」


編集をする際

僕はこの言葉を信条にしている


文章で書かれている脚本を

映像化してみると

想像もしなかった不具合が出てきて

そのまま繋いでしまうと

そのシーンをうまく表現できていない

ということが多々おきる


例えば

「ありがとう」

というセリフがあったとする

しかし映像で見ると

なんか不自然なのだ


そこでセリフ部分を削って

役者の頭を下げる芝居だけにしてみる

見てみると

これで十分伝わる


身体表現を通して

「ありがとう」という気持ちが

ダイレクトに伝わるのだ


ここで「ありがとう」と

役者に言わせてしまうと

意味が重複して

押し付けがましく見えてしまう


この不自然に早く気付けば

撮影現場で修正することも

できたのかもしれない


とはいえ

脚本上に「ありがとう」がないと

そっけないという意味あいに

とらえられてしまう可能性がある

だからこの「ありがとう」は

脚本の上では必要だったりする


ここが難しいところで

つまり文章表現と映像表現は別物なのだ


そういうわけで

どうしても再構築が必要になってくる


逆に今度は

海外の映画祭に出そうとなる


おじぎは日本の文化だから

外国の人には伝わらないのでは

ということに気づき


そこで慌てて

やはり「ありがとう」は

切らずに編集しよう!

などとなったりする


おもしろいもので

こういった伝わるか伝わらないか

ぎりぎりのものが

その人独自の表現だったりするのだ


いま例に出したのは

わかりやすい方で

役者や画家や音楽家など

表現をする人たちは皆

こういう部分で

試行錯誤しているのだと思う


それは

伝えることの奥深さに

触れているようでもある


編集をやっていると

そういう場面によく出くわす

やっぱり映画づくりっておもしろい


そんなことを考えながら

今「幸福な結末」に

手を入れている


助監督

荒川慎吾


※写真は、「Ben-Joe」の助監督を務める荒川(右)が、撮影の合間にキャスト(高橋慎祐氏)と談笑する姿



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