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“Ben-Joe”
制作現場潜入レポート①

【レポーター / 稲垣卓】

2016年7月夏の暑い日の某日。私は、三河映画第二弾「Ben-Joe」の撮影現場を目指した。名古屋駅から山道をなんと車で二時間以上もかかって、やっとの思いで愛知県は北設楽郡設楽町津具にある旧津具小学校跡地に到着した。廃校になった木造の小学校を丸々貸切り状態で、映画のセットが組まれているというから見ものである。今回、私は、3日間、三河映画スタッフと寝食を共にしながら取材を試みることになっている。

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潜入取材初日【やれることをやれるだけやる】

 

旧小学校に建てられたセット

セットの建設地の小学校跡地に着くと、その広さにまず圧倒される。「こんな広い敷地の中にセットを立てたのか…」そう思って覗いてみると、中では黙々とスタッフが黙々と撮影準備を進めていた。照明が組まれ、クレーンが運び込まれ、三脚が据えられてカメラが設置されていく。撮影スタッフは、すでに2か月前から合宿をして撮影を続けていたため、もう撮影準備も手馴れているのだろう。我々がセットに顔を出すと、それを見つけた岩松監督が笑顔で出迎えてくれた。「ここまで来るのは、大変だったでしょう。歩いて2分くらいのところに、スタッフ・キャストの合宿所があるんで、まだ撮影開始まで時間がありますから、そこで一息ついてきてください」

監督に案内されるまでもなく、目と鼻の先に、合宿所があった。立派な一戸建ての民家だ。玄関前には大きな黄色い旗が揺れている。我々が玄関先に立っていると、中から制作チーフの彬田さんが出てきた。彼女によると、撮影スタッフが合宿所で寝泊まりしている時は、この黄色い旗を立てておくのだという。そうすると、地域の方たちに映画の撮影をしていることが分かり、朝早くから通りすがりに顔を出してくれたり、差し入れをしてくださったり、炊事の手伝いをしてくださったりするとのことだ。

現に、我々が玄関で立ち話をしている間にも、表に車が止まり、近所の美容院の方が手作りの五平餅を持ってきてくれていた。温かいうちに食べた方が美味しいとのことで、いきなり現れた私もそのおこぼれをいただいたが、これが非常に美味しい。この地域の名物だという。五平餅をいただいていると、横で彬田さんが何やらノートに書き込みをしている。覗いてみると、料理や飲み物、野菜など様々な飲食物がぎっしり書かれている。どうやら地域の方たちからいただいた差し入れを記録しておく「差し入れノート」らしく、誰から頂いたのか忘れないようにしているらしい。せっかく食べ切れずに困ってしまうほど差し入れを頂いていとのことだ。

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一戸建てで合宿生活

合宿所は、半年以上前、セット建設の時期から無料で借りていて、布団は近所の方が貸してくれているらしい。三河映画のスタッフたちが入居前には、地域の方が布団を干したり、部屋の大掃除をしたりして、入居の準備をしてくださったというのだ。ただ、お風呂だけが壊れていて、困っていたところ、これまた地元の方の声かけもあり、近所で取り壊している家があって要らなくなったユニットバスがあるからと、地元の方が手弁当で納屋に設置してくれたらしい。光がさんさんと入る納屋の真ん中にお風呂が設置されており、露天風呂のように非常に贅沢な空間となっていた。私もその夜、早速、お風呂に入らせてもらったが、工業用の照明に照らされた湯船に浸かり、まるでキャンプ場にでも来たような気分を味わった。

合宿所を案内してもらうと、男性の寝室、女性の寝室、居間、台所の他に、小道具置き場やスタッフのミーティングルームなど、さすがは田舎の一戸建てだけあり、広々としている。廊下には、差し入れされた飲み物などのダンボールがずらりと並んでいた。難を言えば、トイレが昔ながらの汲み取り式便所(通称:ボットン便所)であったこと。制作チーフの彬田さん曰く、慣れてしまえばどうってことはないらしいが、その言葉に映画づくりに携わる女性のたくましさを感じた。私が部屋を探索している間にも、近所の方がやって来て、台所では昼食の準備が始まっていた。そうかと思えば、地元の津具小学校の校長先生が米袋を抱えて玄関から顔を出す。彼の田んぼでとれたお米を差し入れとして持ってきたとのこと。今回は2回目の差し入れらしく、そろそろ前の差し入れのお米がなくなる頃だろうということで来てくれたようだ。昼食の準備中も、制作チーフの彬田さんは、Bluetoothのヘッドセットをつけて電話をしながら(地元の方と撮影の調整などを行っているようだ)、部屋の掃除に、布団干し、洗濯、食事の準備など、バタバタと動き回っていた。撮影班がセットで撮影を進めている間、その裏で彼女が一日、家事、撮影の調整をこなすことで、撮影が滞りなく進められていた。こうした縁の下の力持ち的な存在がいることが三河映画の強さだと感じた。▶ブログ「"Ben-Joe"のお母さん」

熱を発しながらの撮影

 ついつい居心地が良く、合宿所に長居をしてしまったが、セットに戻ると、先ほどとはうって変わって、シーンとした緊張感が張り詰めている。あまりの熱気に私は撮影現場に入れず、撮影が行われている隣の部屋で待機をしていると、そこには小道具や機材に埋もれて、1組の布団が敷かれているのが目に入る。メイクの岩井さんになぜこんなところに布団がひかれているのかと尋ねたところ、ヒロイン役の石川さんは、重要なシーンの撮影になると、演技にあまりに熱が入りすぎて、本当に熱を出しながら撮影に臨むらしい。そうした彼女の負担を軽減しようと、スタッフは布団を現場に持ち込むようになったらしい。そんな会話をしていると、隣の部屋から岩松監督の「カット」の声が聞こえて来たかと思うと、噂の石川さんが現れ、“冷えピタ”を額に貼って布団に横になる。完全に役に憑依した佇まいである。

下痢と帯状疱疹に襲われての撮影

 石川さんの後を追うようにして、カメラマンの沓澤さんも慌ててセットから飛び出してきて、そのまま合宿所の方に消えていく。「何かあったんですか?」と助監督の荒川さんに尋ねると、「昨日から彼は下痢なんです」という。発熱に下痢。大変だなと思っていたら、荒川さん曰く、これまた、いつものことだという。緊張感のあるシーンでは、カメラマンもよく下痢になるらしい。さらに、緊張感がマックスになると、体に蕁麻疹も出ることもあるという。彼らがこの映画に尋常でない覚悟を持って挑んでいるのが伝わってくる。

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撮影中に進める編集

カメラマンが戻って来たところで、撮影が再開。監督の「カット」の声がかかるごとに、モニターチェックを行うことは、どの撮影現場でも見かける様子だが、それ以外にも、監督やカメラマンが、時折、パソコン画面を開いて映像のチェックをしている。助監督の高橋さんによると、三河映画では、撮影済みのシーンは、撮影後、その日のうちにカメラマンによって、編集がなされるそうなのだ。それを確認しながら、それ以降の撮影も行なっていくやり方をしているらしい。4か月かけてリハーサルを行うなど、「やれるだけのことを最大限やる」という三河映画の映画づくりの妥協なき姿勢を噂では聞いてはいたが、ここでもその姿勢が垣間見られたのだった。

童心に返って映画をつくる

いつの間にか日が暮れ、お腹も空いてきたころ、ちょうど撮影の区切りがつき、夕食のための休憩となる。休憩時間になると共に、制作チーフの彬田さんがセットに夕食を運んで来た。しかも温かい。頻繁に撮影の進行状況を現場の助監督と連絡を取り合っているため、タイミングよく、できたての食事が運ばれてくるらしい。小道具が足りなくなったりした場合も、すぐに合宿所に連絡が入り届けられたりもするとのことだ。合宿所がセットの近くならではの利点と言えるだろう。

腹ごしらえが済んだところで、撮影は再開。順調に撮影は進み、監督の「今日は、みんな寝不足だから、早めに上がろう」の声で、三河映画には珍しくてっぺん(午前0時)を越えずに撮影終了。昨晩は、どうやら助監督の高橋さんが橋で叫ぶ事件があったため、スタッフ全員、朝まで徹夜で彼女の思いに耳を傾けていたらしい。撮影を行うだけでも大変なはずなのに、スタッフ間のコミュニケーションに時間を惜しまないことに驚かされた。

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撮影を終えた石川さんは「あー、今日は温泉行きたかったなぁ。監督、明日は撮影を早く終えて、みんなで温泉行きましょうね!」とハイテンションだった。あれ、熱があったはずでは…と思いきや、スタッフの岩井さんが話していたように、石川さん曰く「大変なシーンの撮影の時は決まって熱が出て、そのシーンの撮影が終わると、嘘のようにスーッと熱が下がってしまう」というのだ。本作品のヒロインを演じることへのプレッシャーがとてつもなく大きいのだろう。

撮影機材等の撤収が済み、セットの外に出てみて、我々はあっと驚いた。そこには、満天の星空が広がっていたのだ。私は生まれて初めて肉眼で天の川を見渡すことを経験した。そこへ流れ星がサッと流れる。興奮して童心に帰る三河映画のスタッフとキャストたち。先ほどまでの撮影の緊張感が嘘のようだ。今から1か月前には、川沿いを蛍が飛び交っていたという。その時は、撮影後にスタッフ・キャストで蛍狩りに出かけ、蛍の美しさに大いに盛り上がったらしい。子どものようにはしゃぐ彼らの姿が目に浮かぶ。▶ブログ「蛍を一匹」

合宿所に向かう道中、私は隣を歩く助監督の高橋さんに「撮影、大変そうですね」と声をかけた。すると、彼女は首を振って言った。「実は私、三河映画のオーディションを受けて不合格だったんです。でも、スタッフとして参加することにしたんです」どうして?という顔の私に応えるように彼女は続けた。「自主映画だから、やめようと思えばいつでもやめられるのに、私はやめなかった。三河映画のメンバーは、いつも私を人に信じてくれたから。私が失敗して迷惑をかけて塞ぎ込んでも、再び立ち上がるのを信じてくれた。私にとって、それは本当に幸せなことだったんです」そう言う彼女の瞳は、星空のせいか、涙のせいか、キラキラ輝いていた。私は、その輝きに、三河映画の“映画づくりは人づくり”の一端を見た気がした。なぜ役者の彼女がスタッフとしてでも三河映画に残ろうとしたのか、彼女の言葉を聞いて少し分かった気がした。その夜も、合宿所のスタッフルームは遅くまで明かりがついていた。私は、心苦しかったが、三河映画のスタッフたちよりも一足先に床についた。潜入初日から、三河映画の熱にやられっぱなしだったが、あと2日間、何が起きるのか、考えるだけでワクワクが止まらない。

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