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“Ben-Joe”
制作現場潜入レポート②

【レポーター / 稲垣卓】

潜入取材2日目【消え物と過呼吸の中で】

最強の“料理チーム”

早朝5時、私がトイレのために起きると、すでにスタッフルームに人影がある。カメラマンの沓澤さんがパソコンの前で居眠りをしている。後で聞いたところによると、これもいつものことらしい。彼は撮影済みの映像を毎晩朝まで編集しているらしい。そして、撮影前のスタッフミーティングでその映像を確認して、その日の撮影プランを立てていくというのだ。カメラマンが布団で寝ていることが珍しいというのだから、恐るべし三河映画スタッフである。

私がトイレから戻ると、まもなくして、次々とキャスト・スタッフたちが起き出した。「おはようございます」の挨拶を交わして各々の準備を始める。メイク室では、俳優たちが揃って、安全カミソリを片手に自らの頭を剃っている。4人の女優が坊主頭を並べ、自らの頭を剃っている光景は異様である。横では出演シーンが早い俳優から次々メイクしてく岩井さんも大変だ。その時、隣の台所では、監督とカメラマンが立ったまま、茶碗を片手に卵ご飯をかき込んでいた。居間で座って食べればいいのではと思っているうちに、スタッフの映像の確認をしながらのミーティングが始まり、終わるやいなや、彼らはセットへと出かけていってしまった。

我々も急いで朝食を済まさなければと思っていると、すでに制作チーフの彬田さんによって、食卓は、地元の方たちの手作り料理で埋め尽くされる。私のために朝食を用意して下さったのだ。地元の津具は、トマト、シイタケ、ナスが特産ということで、それを使った料理がたくさん並んでいる。ここ津具にはコンビニエンストアは存在しない。普段、コンビニ弁当ばかり口にしている私には、毎日、三食とも手作り料理を口にできることがなんとも贅沢に思える。

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我々が食事をしている間も、制作チーフがヘッドセットで電話をしながら、バタバタ動き回っている。聞くところによると、今日は、大量の※消えものが必要なシーンらしい。料亭の大皿で60皿以上がいるのだという。一日で用意するのは無理だということで、この日に備えて、地元の方たちと調理を重ね、料理をストックしていたらしい。このため合宿所の2つの冷蔵庫はパンパン状態だ。この日も、地元の方たちによる調理チームが結成されており、そのメンバーの方たちが元気な挨拶と差し入れとともに合宿所に次々とやってくる。気がつけば、台所はてんやわんやであった。完成した料理は冷まされ、保冷剤とともに、魚の運搬用の発泡スチロールの箱に詰められていく。保冷剤は大きなカゴに山盛りに用意されていたが、これも協賛品らしい。調理チームが、料理の詰まった発砲スチロールの箱をセットへとどんどん運んでいく。メイク作業を終えたメイクの岩井さんも料理の運搬を手伝っている。

私も料理を運びながらセットへと向かうと、セット内の巨大な楕円形の食卓にはずらりと料理が並べられていた。撮影はすでに開始されており、スタッフはハエと格闘していた。真夏のこの時期、これほどの料理が並べられれば、ハエたちが喜んで集まってくるのは当然のことだ。ハエが飛び交い、撮影が思うように進められない。料理は口にはしないということで、そこかしこで殺虫剤が撒かれる。撮影を進めるにつれ、室内は殺虫剤で充満され、若干室内は霞がかかった状態になり、私も息苦しくなってくる。これには、さすがに外の空気を吸いに出るスタッフが続出。ハエと人間。どちらが先に倒れるかの闘いである。私の目にも殺虫剤が染み始めた頃、助監督の荒川さんがスタッフに殺虫剤を巻くのを禁止する。荒川さん本人は、殺虫剤に対して大変弱いらしく、これ以上は耐えられなくなったのだろう。彼は殺虫剤の代わりに素手でハエを捕まえようと言い出す。その言葉に、監督は「無理でしょ」と笑っていたが、驚いたことに、荒川さんは次々とハエを素手で捕まえていく。次第に、カメレオン並みのペースでハエを捕まえる荒川さんがハエを捕獲する度、スタッフ・キャストから拍手が起こり始める。

血糊が撮影を苦しめる

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そこへセットに撮影に使われるホールケーキが届けられる。暑い時期だから撮影中に形が崩れてしまうだろうということで、ケーキは2個用意されていた。思わず食べてしまいたくなるほど超豪華なケーキだが、これもケーキ屋さんからの協賛品というのだ。今朝つくり、車で2時間かけて、シェフ自らセットに届けてくれたのだ。このシェフの方は、三河映画のメンバーの直接の知り合いではなく、撮影に使うケーキをどうしようかと助監督たちが話し合っているのを噂で聞きつけた津具の方が、知り合いに頼んでくれたらしいのだ。前作「幸福な結末」でも1000人以上の人たちがエンドクレジットされていた三河映画。人との繋がりはさすがである。

暑さゆえ、消え物の傷みが激しく、カットごとに画面に映っていない料理を発泡スチロールの箱へと戻し、逆にカメラに映るとなれば箱から取り出して並べる。この出し入れに、調理チームはてんやわんや。助監督の高橋さんは、スマートフォンを片手に、最初に並べた時に撮影した料理の写真を参考にしながら、料理の位置を細かく指示している。

この日の撮影で大変だったのは、消え物だけではなかった。この日の撮影にはヒロインが包丁を持って立ち振る舞う芝居があった。映画のストーリーに深く関わっており、三河映画スタッフからストップがかかっているため、詳しくは書けないが、血糊を始め、特殊メイクが必要な重要なシーンだ。この準備のため、特殊メイクチームも大忙しであった。メイクの岩井さんは、特殊メイクチームのチーフでもある。撮影で特殊メイクの仕掛けが上手くいかないと、血糊で衣装が汚れてしまうため、その都度、その衣装が制作チーフの彬田さんに回され、合宿所で洗濯、アイロンがけがなされる。衣装は2着ずつ用意されているが、洗濯とアイロンがけとなるとそれなりに時間はかかる。できる限り失敗をなくして、効率よく撮影を進めたい。そのため、昨日にも増してさらに緊張感の増す撮影となっており、笑顔が素敵な岩井さんにも一切笑顔がない。納得がいくカットが撮れるまで、何度も何度も撮り直しが続き、ついにはアイロンが撮影現場に持ち込まれることになる。ようやく監督からのオッケーが出て、岩井さんもホッと一息だ。
しかし、三河映画の撮影の壮絶さを増したのはこれからであった。日が暮れると、映画のクライマックスシーンの撮影が待っていた。このシーンでは、ヒロインの石川さんに重い芝居が要求される。石川さんは、朝のメイク中に行なった我々スタッフの取材においても、「4か月をかけたリハーサルの中でも、このシーンをどう演じたら良いのか答えが見つけられず、今日の撮影が怖い…」と告白していたのだ。このシーンの撮影前に、撮影班は夕食をとったのだが、ヒロインの石川さんは食欲がないからと食事を口にしなかった。

そんな中、問題のシーンの撮影が始まる。張り詰めた緊張感の中、スタッフ同士の打ち合わせのひそひそ声がやけに響く。撮影現場には最低限の言葉しか発せられないというプレッシャーが漂う。岩松監督が「(気持ちの)準備ができたら行こう」と石川さんに声をかける。彼女は、小さく頷いたものの、5分ほど経っても、黙ったまま何も言わない。スタッフさんたちも、息を飲んだまま、彼女をじっと見つめている。その様子を見ていた私は、自分が息をしていないことに気づいて、慌てて息を吸い込む。さらに時間が過ぎても、緊迫したまま石川さんに動きはない。その静けさの中、石川さんの身体から深いため息が漏れる。「だめだ…」そう呟くと、彼女は、カメラの傍にいた監督の方へと歩み寄る。何やら一言二言、監督と話した後、彼女はセットの片隅にあった椅子に倒れ込んでしまった。

ハエとカエルとの闘い

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その様子を見た照明マンや音声マンのスタッフさんたちは、緊張感のせいか、殺虫剤のせいか、セットの外へと出ていき、深呼吸をしている。その間にも助監督の荒川さんは相変わらず、ハエを捕獲していた。助監督の高橋さんは、セットの隅で何やら怪しげな動きをしているので、近づいてみると、セットに入ってきていたカエルを捕まえ、外へと逃がしていた。よく見てみると、窓際のセットの壁には、いたるところに、カエルが張り付いているではないか。思わずギョッとした。高橋さんの話によると、なぜか夜の11時を過ぎると、決まってカエルがセットの中へと大量に入ってくるそうなのだ。出しても出しても入ってくるので、困り果てていると。

そうこうしているうちに、ヒロインの石川さんがセットに戻ってくる。その様子を見て、スタッフさんたちは、無言のまま各々撮影態勢に入る。三河映画メンバーのあうんの呼吸を感じる瞬間だ。「いつでも撮り始められるから、準備ができたら、自分のタイミングで芝居を始めていいからね」監督はそう言って、黙って彼女を見ている。再び緊張感がセット全体を包み込む。私も壁際で、カエルを気にしながら、芝居の始まりを今か今かと待っていたのだが、いつまで経っても芝居は始まらない。固まっている石川さんをよくよく見てみると、小刻みに震えているのが分かる。呼吸も次第に深いものになり、やがて呼吸が激しくなっていった。慌てて、メイクの岩井さんが彼女に駆け寄る。石川さんは過呼吸に陥り、パニック状態になっている。岩井さんは、懸命に石川さんが握りしめている拳を広げようとしている。握りしめた手の中で、爪が当たっている手のひらの部分が切れて血が滲んでいるからだ。その様子を見て助監督の高橋さんは、ビニール袋を石川さんの口に当てて、呼吸を楽にしてあげている。

撮影が終わっても終わらない…

私は気が動転して、どうしたものかと困って、スタッフの方に目をやると、カメラマンは、メイキングカメラを回している。きっと後で使える映像になると本能的に判断したのだろう。何とも恐ろしい。監督が石川さんのところへ行き、何か話しかけているが、石川さんは首を横に振っている。監督は撮影の延期を提案したようだが、石川さんは撮影の続行を切望し、撮影を続けることになる。「この壁を乗り越えないと、このシーンを演じきれないと彼女自身が一番分かってる」そう言って、カメラの横で石川さんをじっと見守っている。きっと彼らには私たち部外者には分からない深い信頼関係があり、協力して闘う同士なのだと感じる。

​​ Ben-Joe メイキングトーク

 「私はこうして過呼吸を乗り越えた」▶

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てっぺん(午前0時)を過ぎ、ようやくカメラが回り始めた頃、泣きすぎて石川さんの顔はパンパンに腫れ上がっていた。撮影が終わると、彼女は倒れこむようにしてセットを去っていった。スタッフたちに安堵の表情が浮かぶ。時計は午前3時を回っていた。こうして、潜入レポート二日目は終わりを迎えたともはホッとしていた。しかし、そうではなかったのだ。撮影機材や小道具を片付けながらスタッフたちが話し合っている声を聞き、私は耳を疑う。1時間後の午前4時から、スタッフたちは血糊のテストを行うというのだ。このまま三河映画のスタッフたちのペースを合わせていると、私は倒れてしまうと恐れおののいたが、三河映画の根性を一瞬たりとも見逃すわけにはいかない。そう思い、私も撮影スタッフにとことん付き合う覚悟を決めた。

午前4時を回り、予定通り、血糊テストが開始された。現場には、20リットル用のジョウロが2個用意されており、そこには太いホースが繋がれていた。そのホースの先端は、※スタンドインのスタッフの身体に仕込まれており、ジョウロから大量の血糊を流すと、役者の身体からそれが流れ出すという仕組みだ。その様子をクレーンに積んだカメラが真上から狙う。血糊が上手に広がって流れるか。その様子をカメラが逃さず捉えることができるか。俳優が体制的に撮影に耐えられそうか。それらの確認がテストの目的であった。テストが重ねられ、その都度、血糊を流す装置に改良が施される。テストが終わった頃には、もうセットの外は明るくなっていた。無事テストは終わったものの、テストで予想以上の量の血糊を使い過ぎてしまい、本番用の血糊が足りなくなってしまったと、岩井さんが慌てている。本番でも大量の血糊を使用するため、今から血糊を作らなければ撮影に間に合わないというのだ。寝ている時間がない。しかし、撮影の緊張感にやられてしまったのか、私にはこのまま取材を続ける力は残っていなかった。セットの脇で頭を抱える岩井さんを尻目に、私は取材を断念し合宿所の布団に潜り込んでしまった。

※消え物           出演者が番組の中で実際に食べたり飲んだりしてなくなる物

​​※スタンドイン リハーサルでまだキャストの立ち位置やカメラ位置等が決まっていない場合にスタッフがキャストのかわり

                           になること

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